オペラ座の幻影

Phantom of the operaを直訳するとこーなるよねー。
そもそも、エリックは署名に「O・G」opera ghostと名乗っているのに
どうしてどいつもこいつもphantomと呼ぶのでしょ。
お化けって名乗ってるのに「幽霊だ幽霊だ」って言うの失礼だよね?
(いや、原作の時点でこのねじれは生じているのだが)



まぁ、そんなオペラ座の怪人が某シネコンリバイバルされていたので
ホイホイ出かけてきた訳さ。
ロードショーが終わった後も渋谷ル・シネマや池袋新文芸座、早稲田の名画座
かかったのを見に行ったことはあるが
(ロードショー含めると結構見てんなぁ。洋画では今んとこ最多か?)
劇場の音響設備の力不足で、プレリュードのパイプオルガンの重低音がどうもイマイチ。
その点、シネコンなら安心だしね!
うるさいくらいのドルビーサラウンドを堪能できるってもんさ!
……で、堪能してまいりました。
素晴らしかったですわ〜。音も映像も、エミー・ロッサムの瑞々しさも。
あえぐたびに上下するデコルテがたまらんス。ビバ女子高生with絶対音感
やっぱ映画は、映画館で……大きいスクリーンと暗闇の中で見なくちゃダメだ。
DVDとは画面の情報量と集中の度合いがまるで違う。



この作品についてはいつも色々考えてしまうことがあるのだけど、
今回思ったのは、マダム・ジリはなぜファントムに協力し続けたのかということ。
クリスティーヌの一件だけでも10年近い年月だし、
(劇場版設定の)ファントムがオペラ座に棲むきっかけを作った時点から考えると、
20年以上の歳月になるはずだ。
同情とか恐怖とか(才能に対する)憧憬とか色々なものがゴチャゴチャしていたんだろうけど、
オペラ座を離れてしまえばカタが付く問題だろうに。
ガストン・ルルーの原作のマダム・ジリはもっと頭の悪いおばあさんで
ファントムに「自分の言う通りにしていれば将来娘は皇后になる」とかだまくらかされている。
クレバーなファントムの協力者なマダム・ジリはALWの創作といっていいキャラな訳で
ファントムがご本尊でクリスティーヌがサラ・ブライトマンの投射だとして
マダム・ジリはどういう存在だったのかなぁ、などと。
いや、リアルにモデルがいるとは思っていないけど。
まぁ、マダム・ジリがいないと解説役というか、
表に出られないファントムの代わりに誰か動かないと困るというか、
話が進まない所も多々あるなぁ。
かといって、デウス・エキス・マキナと呼べるほど強力な影響力もないし。
む〜、Angel of the musicならぬ、Angelus ex machina(機械仕掛けの天使)?



カメラのズームやパンはあまり多用されず、長めな固定視点で
計算し尽くされた構図やライティング、そして音楽の起用で、
この映画に何の不満があるのか言ってみやがれな作品なのだけど、
アメリカでは見事にコケたらしい。なんでやねん!
舞台版で続編作るつもりになったのは、このあたりの心理が働いているのだろうか。
それにしても、ここまでキレイにまとまったものに、何故蛇足を付けるのかなぁ。
クリスティーヌにとってファントムは保護者であり師であり幻影としての異性であり
いわば孤独な思春期の少女が心の安定のために必要とした
イマジナリー・フレンドならぬイマジナリー・お父さんであって
そこから卒業させることで、その役目を全うする存在だと思うのだが。
カリ城の続編でルパンとクラリスが再会するようなもんだよなぁ>マンハッタンの怪人
ホントに、何故そんなものを作るのやら。
Does Love never die?