「バレエ・リュスの祭典」鑑賞

「シェヘラザード」は好きな演目なので見ておくかな、と。
ルジマトフ降板で、純粋なキエフ組でどうなるのかも見たかったし。


「レ・シルフィード」は見事なバレエ・ブランでした。
やっぱ手足が長いってのはいいなぁ。
クラシック・チュチュの群舞はお美しゅうございました。
これと太刀打ちしようとするなら、我々東洋人にはやはり
コンテンポラリーの道しか残っていない気もしたり。
問題はコンテンポラリー=暗黒舞踏的な発想になってるトコだな。
もっと美しくて楽しいコンテが増えればいいのに。


さて、肝心の「シェヘラザード」な訳だが。
……ううむ。
エレーナ・フィリピエワのゾベイダは「賢く冷静」といった雰囲気で
愛欲に身を焦がす寵姫という言葉からはかけ離れた所にあり、
それはそれで良いのだけど、
結果、金の奴隷が何やら微妙なことに。
葛藤も苦悩も官能もあったもんじゃない、みたいな。
この、何やら微妙な雰囲気は、舞台全体に共通しており、
何が悪いのかつらつら考えたのだが、
……アレだ。背景が悪い。
紗の幕に細い円柱と高アーチが描かれ、
その向こうに宮殿、青空&積乱雲、そして雪を湛えた山脈が見えており
ぶっちゃけ、開放感ありすぎる。
日頃は隔てられて会うことのない後宮の寵姫と奴隷が逢瀬を交わす、という雰囲気が出ないのだ。
他にもあちこち、キエフ版独自の演出があったのだが
(王弟とゾベイダが反目している、とか)
なんつーか、こー、努力は認めるけど的なレベルになっている。
後宮&姦通&リムスキー・コルサレフの音楽に対して、
「世継ぎができない寵姫が王位を狙う王弟に脅威を感じ、子供ほしさに奴隷と交わった」みたいな裏設定付けてみても、
結局、負けちゃうんだよなぁ。
なにより、フォーキンの振り付けが官能に溢れてるんだもの。無理がありますって。
ちょっと残念でした。


さて、今年のキエフはくるみ割&バレエリュスの祭典、の2演目で、年明け前に帰ってしまう。
と、いうのも、ミハイロフスキー・バレエ(旧レニングラー^ド・バレエ)が
ナチョ・ドゥアトが芸術監督やめたとたんに外貨稼ぎに来日するからだ。
椅子取りゲーム始まったな、と思ってはいたのだが、
会場の先行販売のチケットを覗いてみたらば
2015年夏は「サンクト・ペテルブルグナントカとミハイロフスキー・バレエのソリスト
……うっわぁ、夏公演までキエフ・バレエからもぎ取りやがったぁ。
おまけに会場で配られたチラシの中には
「ミハイロフスキー・バレエ劇場公演鑑賞ツアー・バックステージ見学&ファンミーティング付」
……色々画策してやがるぅ。
こっちもなにげに戦争じゃねーの。コレ。


どちらか選べと言われたら、ミハイロフスキーを選んでしまうだろうだけに
この状態は正直喜べない。
キエフ・バレエだってがんばってきたじゃないか、この3年間。
一年目の夏なんて、ドサ回りとしか言いようのない全国行脚に耐えてさ。
時期的には3.11の後で、ウクライナの人達には色々恐怖もあったろうに。
しかも衣装とか小道具とかちゃんと持ってきてくれて、コールドも揃えて。
去年と今年はさすがに省エネ体制になったけど、
それでも、それまでのロシア勢よりは遙かにクオリティ高かった。
あんだけがんばってくれたのに、ミハイロフスキーが手の平返したらポイ捨てとか、どーよ。
気の毒だし、申し訳ないと思う。


なんとかなんないのかなぁ……