魔法のプリンセス・ミンキーモモ「夢のフェナリナーサ」

DVDも持っておらず、衛星放送を見られる環境にもないので、
視聴するのは本放送以来になる。
当時の感動を、再度の視聴で上書きするのは怖いような気もしながら、
思い出を大事にしたいあまりに敵前逃亡(誰が敵よ)も情けないなと思い、リアルタイム視聴。


映像の記憶は、何度も見返したムック本で上書きされたが
実際に動く絵を見るのは、29年ぶりになる。
このシーンはこんなに長かったのか、とか、
ここでCM入りなのか、と新鮮な驚きがいくつもあった。


……そして、フェナリナーサは降りてきた。


見終わった心境を、何と表せば良いのか。
思い出を懐かしむのではなく、新しい感動でもなく、
強いて、近い感覚を挙げるなら
「昔、住んでいた町の公園に立ち寄ったら、
あの頃とは違う毛並の野良猫がくつろいでいた」とでも言おうか。
公園の景色は全く同じで、野良猫は人に慣れていて可愛いが、
私の知っていたあの猫は、おそらく永久に、いなくなってしまったのだ。
馴染みのある景色の公園も、もうホームグラウンドとして感じられない。
時間が、私とこの空間を遠く隔ててしまったのだ。
そう自覚する一方、それでも
昔はここが私の居場所だったのだという自覚。
行き詰った時、ただヒマだった時も、猫の姿が見たくなった時、
あるいは買い物の行き帰りに、
ここに立ち寄って、ベンチに座って一息ついた、
この場所で間違いなく私は安息を得たのだという、温かな安心感。
……そんな感覚だろうか。


涙は出なかった。意外にも。
それは多分、もう二度とフェナリナーサが降りてこないことが決定づけられているから、
否、フェナリナーサが別次元まで隔たったことを知っているからだろう。
そして、失ったことを悲しいと思うには、いささか月日が経ちすぎているのが現実なのかもしれない。


それでも、フェナリナーサのプリンセス、
あなたは私の暗黒時代を救う、導きの光だった。
永遠に手に届かない星であっても、やはり輝きだった。
あなたが夜空に居てくれてよかった。
あなたに出会えて、幸いだった。