マキャフリー賛歌

アメリカの著名な小説家、アン・マキャフリー氏が逝去されたそうだ。
http://www.tsogen.co.jp/news/2011/11/11112312.html


マキャフリーの作品で有名なのはやはり「パーンの竜騎士」シリーズだろう。
シンデレラストーリーで、竜に乗って空を駆け、動物との心をふれあい、
しまいにゃタイムトラベルでご先祖召喚して一族郎党で侵略者と戦争!
こんだけ王道ネタ突っ込んであってつまらない訳がないのだ、「竜の戦士」は。

竜の戦士 (ハヤカワ文庫 SF 483 パーンの竜騎士 1)

竜の戦士 (ハヤカワ文庫 SF 483 パーンの竜騎士 1)

「歌う船」シリーズは着想がすばらしい。
生まれつき身体的に障害がある子供を「殻人(シェル・パーソン)」として育て
肉体の代わりに宇宙船や都市機能などを操作させるのだ。
興味深いのは、このような通常人と異なる人を保護するための機関があって
細かく権利侵害などをチェックする機能が社会的に働いていること。
また「殻人」は育成にかかった金額を働いて返済することになっている。
つまり、金をかけて自分の体(乗っている船)を買い取るのだ。
しかし、この作品の白眉はなんといっても「殻人」の心理の描き方だろう。
彼らは通常人と異なることに何ひとつ劣等感を抱いていない。
地面を走る足の代わりに巨大な宇宙船のエンジンを操り、
拡大レンズとマニュピレーターで肉眼では見えない小さな細密画を描く。
一般的なサイボーグものが肉体の喪失をテーマの一つに据えるのと何たる差!
(もっとも、この白眉はマキャフリー本人が書いたものだけで、
他作家との共作では、この手のサイボーグ悲哀が復活してしまうのだが)
歌う船 (創元SF文庫 (683-1))

歌う船 (創元SF文庫 (683-1))

あまり知られてはいないが「ペガサスに乗る」シリーズも面白い。
テレパスサイコキネスなどの超能力が普遍的にある世界で、
この手の能力者をまとめる民間機関をめぐるオムニバスシリーズだ。
超能力者の権利を守るため、そして超能力の悪用をふせぐため
社会的にさまざまな制度・機関が存在している。
タイガーアンドなんとかさんのスタッフは、アメコミばっかパクってないで
(しかも映画化されたネタしかパクラないんだよなぁ。ローグは幼女とかさw)
この小説読んで自分たちの浅さを恥じるといいよ!
ペガサスに乗る (ハヤカワ文庫SF)

ペガサスに乗る (ハヤカワ文庫SF)

フリーダムズ・ランディングシリーズと、ライアン家シリーズは未読。
双方の元ネタ短編が収録されている「塔の中の姫君」は読んであるけど。
「ペガサス」シリーズに興味を持ったのもこの本がきっかけだった。恐竜惑星アイリータ」は異色の作品。
長命を生きるケイ素生物の設定が面白いが、
マキャフリーらしからぬガジェット的作りこみがされているのだ。
ここだけ誰かとの共作なんじゃないかと思ってしまうくらい。
ちなみに最終編が和訳されていないので、少し欲求不満な読後感になる。
恐竜惑星〈1〉惑星アイリータ調査隊 (創元推理文庫)

恐竜惑星〈1〉惑星アイリータ調査隊 (創元推理文庫)


そして、一番マキャフリーらしさが出ているのはやはり「クリスタル・シンガー」。

歌手として挫折した主人公が、その声を使って星間文明の必需品・水晶を採掘する
クリスタル・シンガーを目指す話だ。
主人公のキラシャンドラは、アメリカ女性らしい精神の強さ、したたかさ、積極性を武器に
放り出された哀れな少女から、タフな社会人へとのし上がってゆく。
この小説で自分が感じたのは
アメリカって、スカーレット・オハラの国なんだなぁ」ということだった。
あくまで自分を貫く、曲げないヒロインの強気の姿勢が美しい、かっこいいのだ。
社会もそんな彼女を認めているから、彼女に道を開けざるを得ないのだろう。
思えば、マキャフリーの主人公には大なり小なり、自己中心的なところがある。
パーンの竜騎士のレサも、人を利用することに何のためらいもないし
いかにも日本人好みの「歌う船」のヘルヴァですら
惑星離脱の時のGで乗客が何人か死ぬのを「無視した」とかサラリと書いてある。
(レサの場合は彼女の特殊能力に関係があるし
ヘルヴァのケースも緊急を要した離脱&その原因は乗客、という酌量のポイントはあるのだが)
これはおそらく、マキャフリー本人の一面を反映してもいるのだろう。
パーンの竜騎士は長いシリーズものだが、一番、というより唯一閉口させられるところは
最初は善人だった人物が話が進むにつれて突然厄介者に代わってしまうところだった。
あんなに頼もしかったあの人が、心強い友人だった彼女が、
巻数が変わるとあんなことに!下手すると同じ巻の後半あたりでこんなことに!
木に竹を接いだようなその性格の変貌ぶりはなぜなのか、一応簡単な説明はあるが
作品全体から判断すると「お話の都合上ここらで悪役が必要になった」からにしか思えない。
「キャラクターは生きてるんだなんて、この作者には通用しないんだろうな」と
何度も溜息をついたものだ。
このあたりのついてけない感は、アメコミと共通するものがある。
アメコミの場合はライターが交代してまずやる事は、
前のライターの設定をとりあえず否定、みたいな側面もあるのだけど。



マキャフリーからもう一つ学んだのは「アメリカ人の好戦性」だった。
「塔の中の姫君」に出てくるライアン家シリーズのプロトタイプ短編に
はるか外宇宙から航行してくる異星人が出てくるのだが
地球側はとりあえず戦争することしか考えないのだから恐れ入る。
異星人だよ?人類以外の知的生命体とのファーストコンタクトだよ?
そら向こうもガチで侵略に来たのは事実だけど
(何光年もかけて、ヒマだよな)
異なる文明と出会ってまず殺し合いをしようとかなぜ思っちゃうの?
懐柔とか生け捕りとか微塵も思わないのかよ!
ホームはこっちで、向こうは単艦で突っ込んできたアウェイなんだぜ?
タイミング的に湾岸戦争の頃だったせいもあって、
アメリカ人て駄目だ、としみじみした記憶がある。
ちなみに、アメリカ人ってホントにダメだな感がさらにひどいのは
共作の「戦う都市」だ。
敵役の侵略者異星人が、露骨にアラブ系の造型で、うんざりしてしまい
本人が書いていない以降のシリーズは手をつけていない。


こんな風に、マキャフリーは自分に「ヤンキーの頭の中」を教えてくれた。
いいところも、悪いところも。
ちなみに彼女が作家になったきっかけは、元夫の
「君が小説家になんてなれるわけがない」という言葉だそうで
このあたり某ハリポタの原作者と共通点がある。
日本の漫画にまで手を伸ばすほど原作に飢えているハリウッドが
マキャフリーにアプローチしてない訳はないと思うのだが
どういう訳か映像化の話は無いままだった。
息子が版権管理者になって、何か変わるだろうか。


ここ近年は小品の刊行ばかりで、衰えているのだなと思ってはいたが
いざその時を迎えてしまうと、やはり寂しさがこみ上げる。
月並みですが、ご冥福をお祈りして、この文章を終わらせたい。