首藤剛志氏にまつわる思い出をつらつらと

タイトルの「詮無いこと……」は、劇場版戦国魔神ゴーショーグン「時の異邦人」で
酒場で打開策を話し合うチームメンバーとの会話を打ち切る流れで、
ブンドル将軍が言ったセリフ。
人生の語彙のほとんどを、私は小説から学んできたが
アニメから言葉を覚えたのは、これが初めてだったように思う。


私の人生のどこに分岐点があったのかと問われたなら、間違いなく
木曜日の夕方5:55だと答えるだろう。
バスケ部に所属していた私は「花とゆめ」や「プリンセス」は読むが「テレビマンガ」とは疎遠な人生を送っていた。
たまに早く帰ってくると兄がTVの前に座っており、
居心地悪そうに「これは『燃えよ剣』を下敷きにした内容なんだ」などと説明することはあったが、
新撰組ならどーして女がいるの」と冷たい反応しかしなかった。
(まぁ、不死蝶のライラは色っぽいなとは思ったが)
そしてある木曜日、自主練を終えて帰ってくると、
私の帰宅の気配を勘づいた兄が居間から出てゆくところだった。
「またあのネクラは『テレビマンガ』を見ていたのか。どれ、どんなシロモノか見てやれ」
軽い気持ちでTVのスイッチを点けたら、そこで放映していたのが
「魔法のプリンセス・ミンキーモモ#10・ハイウェイ大追跡」だった。
少女向け作品の様子を呈していながら、出てくるのは誰も彼も、
良い子的説教臭さからは遠く隔たった、ぶっ壊れ系の、
それでいて人に危害は加えず不快感も与えないキャラクター達。
『テレビマンガ』に出てくる女の子は大なり小なりお姫様で
人質になって「来ないでー私はどうなってもいいのー」と叫ぶだけの
(叫ぶヒマがあるんなら舌噛んで死ねよ!)
『足手まとい』というレッテルを貼られた瓶詰めオイルサーディンだと思っていた私にとって、
それはあまりに予想外の展開だった。
ガンダムセイラ・マスも私から見ればお姫様だった。
体を張ってガンダムに乗り、自分の手で兄の暴走を止めようともせず
命の危険に晒された時だけ「アルテイシアと知ってなぜ銃を向ける」と
親の七光を利用する卑怯者にしか思えなかった)
「これ、面白い……」
TVに見とれる私の背後に、いつの間にか戻ってきた兄が
「このアニメは、お前が昔好きだった『ゴーショーグン』の人が
脚本を書いているんだ」と教えてくれた。


……そして私のおたく人生が始まったのだ。
アニメは脚本家で見るものだと刷り込まれたのだ。


初めて買ったアニメ雑誌は、ミンキーモモが振り袖を着ている表紙の『OUT』だった。
初めて買ったLPは「ミンキーモモ・夢で遭いましょう」。
そして最初に買った映像ソフトは、VHSの「夢の中の輪舞」。
(ビデオデッキなんか持ってやしなかったし、家にもなかったのに)
……何もかも、フェナリナーサのプリンセスから始まった。


人生の暗黒時代だった大学生の頃、死にたいと思いかける私の心を現実に留めたのは
「もしかしたらミンキーモモの新作がまた出るかもしれない」という希望だった。
(夢の中の輪舞の製作発表会か何かで「あと一つ作りたい話がある」と
首藤氏が発言していたのだ)
時折空を眺めては「フェナリナーサが降りてくるまであと##年か……」と
本気とも冗談ともつかぬ気持ちになることもあった。
恐怖の大王はとうとうやってこなかったが、フェナリナーサは降りてくるかもしれない、と。


そして、とうとうフェナリナーサは降りてこないままだ。
首藤剛志氏の拝顔の栄に浴する機会を、私は永遠に失った。


まだ都内に住んでいたころ、東急本店横のベローチェを通りかかる時には
ガラス越しに中をのぞき込んでは、首藤氏が座ってないか探したものだ。
アニメスタイルのコラムか、ご自身のブログのどちらかに
散歩のついでにベローチェでアイディアを練ると書いてあったので)
見かけたとして、声をかけたかどうかは判らない。
ただ、私が通りかかる時間帯=午後から夜にかけては、
とうとう一度も首藤氏の姿を見かけることはなかった。
……さらに恥ずかしい告白をしてしまえば、暗黒の大学生時代
どうしても耐えきれずに東京都の電話帖を調べて、
首藤氏の自宅と電話番号(らしきもの)をつきとめたこともあった。
今では元首相の住居があることで知られる、その場所に押しかけるつもりは毛頭なかった。
喩えるなら「一切れのパン」に出てくる、ハンカチでくるんだ木片のように
「ここに行けば『ミンキーモモ』の産みの親に会える」という希望が
当時の私の精神を支えていたのだ。


つらつら書いても、私の思い出話にしかならない。
ミンキーモモにどれだけ私の心の支えだったかを語るのはむずかしい。
暮れてゆく空に輝く宵の明星のように、
暗黒時代に突入してゆく私の人生の唯一の光明だった、フェナリナーサのプリンセス。
そのミンキーモモの背骨的役割だった、首藤剛志氏。
(もちろん、ゴーショーグンやようこそようこ、火曜6:30時代の
ポケットモンスターも大好きだった。
「ゆうれいポケモンとなつまつり」なんて、まさに首藤節大全開な内容だと思う。
「巴里のイザベル」は未見)
何というか、ネット上のニュースで見るだけでは、今ひとつ実感がなく、
二度と首藤氏が何かを書いてくれることがないということが、私の人生にどういう意味をもたらすのか、
頭で理解できないままでいる。
おそらくこれからゆっくりと、悲しみが湧き上がってくるのだろう。


「誰かが生きてるってのは、悪いニュースじゃないわ」とは
『その後の戦国魔神ゴーショーグン』(小説)の中で
レミーが言ったセリフだ。
……首藤さん。
今の業界、あなたのようなセリフ回しが書ける人は誰一人おりませんよ。
これは、私たちおたくの報いなんでしょうか。
判りやすい萌えに走り、消費の快楽を享受するままだったことへの。


冬が来ます。
考える時間はたっぷりありそうです。