エリザベート・雑感

ちょっと前になるが、大阪でウィーン版エリザベートを観てきた。
マヤ・ハクフォート&マテ・カマラスだったので、ベストメンバーと言える。
これで一路&内野の東宝版、宙組の宝塚版と3つ見た訳で、
同じ戯曲・ミュージカルナンバーで
これだけ違いが出るのかと興味深いものがあった。
当たり前だが、国民性というものはあるのだ。
以下・雑感。


まず舞台装置で目を引くのは、正面右手から突き出す金属製の跳ね橋。
冒頭ではここにルキーニの絞首人形がぶら下がっており、目を引くことこの上ない。
この跳ね橋のモチーフは金属製のやすり=エリザベート暗殺の凶器なのだそうだ。
わかりやすく解釈すれば、舞台の上に巨大なナイフが転がっているようなものか。
不気味であり「キッチュ」なこの仕掛けは、
エリザベート」という舞台を表す記号の一つだろう。
(なんてったって冒場したルキーニはセリフをしゃべるより先に、
吊られた自分の死体を下ろすのだ。うひー、まさにキッチュ!)


脚本もナンバーの構成も基本的には同じなので、展開にはさほど違いはない。
その分、大小の演出の違いが際だってくる。
東宝・宝塚版どちらも、エリザベートとトートの出会いのシーンに
「恋に落ちた」的補足シーンを加えており
(宝塚版ではここでオリジナルのバラードを加えていた)
その分、意識としてのトートの存在感がはっきりしてくる。
また、皇太子ルドルフの悪夢とも言える「憎しみ=民族主義の台頭」は
宝塚版のみばっさり削除、
ウィーン版ではヒットラーっぽいマスク+パチモンのスワチカを使っていたが
東宝版ではそのものずばりハーケンクロイツを使用していた。
(これは、表現の自由バンザイってトコですな。
悪者の象徴としてなら使っていいと聞いたのだが……ハガレンの劇場版とか)
他に印象に残った違いといったら
宝塚版ではハンガリー戴冠式が非常に高揚するシーンとなっており
国民の前にハンガリー国旗カラーのドレスで登場したエリザベート
「エーヤン、ハンガリー!」(ハンガリー万歳)と凛々しく宣言する
いわばエリザベート自身の「見せ場」なシーンでもあるのだが、
本家版ではこのシーンでは、賛美歌のような優しいコーラスに合わせて
国民が白いハンカチを振るという、非常に穏やかなイメージになっている。
そして、本家版でこれに該当する「見せ場」に当たるのが
夫である皇帝から行動の自由を取り付けることに成功したシーンだろう。
皇帝が「自分は理性的な男だが君を想うとメロメロ〜(大意)」と唄うと
鏡の影からエリザベートが姿を現す。
日本人には馴染みが薄いが、このポーズ・衣装は
一番有名な肖像画とまったく同一のものだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Winterhalter_Elisabeth_2.jpg
(映画「オペラ座の怪人」のクリスティーヌのガラ・コンサート時の衣装も
この肖像画に酷似していると思うのだがどうなのだろう……)
あと、ある意味一番印象的な違いは
宝塚版のどこだか忘れたが、貴婦人同士が
コテコテのダジャレので罵り合うシーンがあることだ。
すみれの園も、吉本文化圏には変わりがないのだなぁ……。


他にもいろいろ違いはあるのだが、キリがないので割愛。


ちなみに皇太子の死の場面は、本家版も初期の頃は
ちゃんとトート&死の天使ズは自前の衣装で踊っていたらしい。
そのままにしときゃいーのに、今回の来日演出では
全員で女物のドレスをご着用なさっている。
これは、皇太子がマリー・ヴェッセラという少女と心中した史実を
反映しての演出らしいが
男性が演じるトートが胸に詰め物をして登場するあたりは
なんつーか、ある意味宝塚のダジャレを超えてる。
というかこの場面を見るたび自分の脳裏では
「あたくしテキーラを持って参りましたの〜、通ってよろしいかしら〜」と
ポーズを作るジョナサン・ジョースター第二部の若い頃の艶姿
フィードバックしてしょーがないんですが?


しかし、最大の違いは何と言っても「トート」の肉付けだろう。
以下、長くなったのでまた今度。