セミとキリギリスのオペラ

東京は、世界一セミが多い都市なのだ、と
8月の午後にJ−WAVEで聞いた気がする。
戦後に植えた街路樹が大木に育っているため、
セミの生育に適した環境になっているのがその理由だそうだ。
(その割にバサバサと無惨に枝を切り落とされている気もするが)
世界一かどうかはともかく、確かに自分の住んでいる地域ではセミの声をよく聞く。
近くに遊歩道があるからだろう。
8月中旬などは夜になってもアブラゼミの声が響き渡って
セミなんだかキリギリスなんだかはっきりしろ」と思ったものだ。


が、この発想;セミ≒キリギリスはそれほど的はずれなものでもないらしい。
イソップ寓話でおなじみ「アリとキリギリス」の話は
元々は「アリとセミ」の話だったというのだ。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/preface.html
なるほど、元々「夏に遊び暮らしていた」という印象なら
夜になって鳴くキリギリスより日中のセミの方がピッタリくる。
そして「セミが音楽の女神を称える歌を歌っている」という伝承には
自分的に納得する記憶がある。


何年か前に上野の国立博物館で開催された「トルコ展」で
エフェソスのアルテミスという大理石像を見たことがある。
これが「アルテミス=狩猟の処女女神」というイメージからはほど遠い、
何ともユニークな彫像だった。
アルテミスと名付けられてはいるが、元々は一地方の別女神なのだろう。
頭部、腕は破損していたので面差しもポーズも今となってはわからないが、
胸部には果実のように無数の乳が垂れ下がり
腰から下には、小さな馬や五弁の花、
胡座をかいた翼を持つ人(頭部欠損だがバフォメットにそっくり)などなど
小さなシンボルが曼荼羅のように規則的に彫られているのだが、
これらに混じって、ミツバチ(豊饒の象徴だろう)と
もう一対、セミにしか見えない昆虫が彫られていたからだ。
その時は「セミに似てるなぁ。何の虫だろう」と思っていたが、
セミ=女神を称える昆虫なら、神の像に彫られるのも納得できる。


この事実から察するに、紀元前はるか昔のヨーロッパには
セミやキリギリスなど、虫の声に雅を感じる人種が存在していたのだろう。
それがイソップの時代には、すでに笑い者として少数化しており、
今となってはそんな人種が存在したことすら知られていない。
虫の声を騒音と感じない人々は、日本人・コオロギを愛でる中国人以外には、
昆虫記のファーブルでおなじみ南フランスの一部にしかいないそうだが、
遠い昔には、もっと普遍的に存在していたのだ。


そんなことを考えながら、昼はセミ、夜は秋の虫たちの声に
耳を傾けるのも面白いだろう。
この季節の私たちは、名を秘された女神に嘉された自然のオペラを
一日中聞くことができる環境に生まれついたのだから。


ちなみにこちらは虫の音が聞けるサイト
ttp://mushinone.cool.ne.jp/index.htm