年に一度の石名坂詣での日

平成15年(2003年)の金砂郷神社の磯出祭り以来
毎年4月19日に定期的に石名坂の榎を見に行っている。
2004は行かなかったので、05、06で今年で2回目。


05年の時は、日立電鉄が廃止されていてショックを受けたが、
06年の今年は、レールの撤去が着々と進んでいてさらにショック。
錆つかせるより鉄鋼として再利用した方がいいってことなのだろうか。
本当になくなってしまうのだなぁ、などと
年に一度しか行かない身の上としてはしみじみしてしまう。
大甕〜水木浜の間しか乗ったことがないのだが、
全線乗ってみたかったものだ。


石名坂榎木〜大甕神社〜泉ヶ森神社と、
これが自分としてはルーティンワークなコース。
去年は十王まで足を伸ばして蚕影神社を見てきたが、
今年は水木浜で軽く波とたわむれるだけに留める。
砂浜の先に広がる太平洋は美しいが、親潮は冷たい。
黒潮の打ち寄せる一月の高知の桂ヶ浜が
「泳ぎたい」と思ったほどの暖かさだったのに比べ
同じ海でもこうも違うのかと思う。


その後、六ヶ塚遺跡(みかの原古墳群)という場所に立ち寄ることに。
それらしい所を探し当てるが、松の木が生えた土山があるばかり。
周囲は駐車場になっている。
近くにあった案内板を読むと「以前は前方後円墳一基、円墳4基があったが
前方後円墳は昭和51年の調査後に消滅」したのだとか。
消滅する=壊すから調査に入ったというのが実情なのでしょうな(遠くを見る目)。
前方後円墳とは、大和王権=近畿圏に多く見られる古墳で、
関東地方ではめずらしい。
やはりこのあたりは昔から大和や大陸系と交流があったようだ。
蚕影神社が「こがね姫伝説」の発祥の地であること=関東の養蚕の源と見るなら
常陸シルクロードの、まさに最東端ということになるのだな。
しみじみ。
その物証である前方後円墳がぶっ潰されてるのが、またしみじみ。


行きはバスだが、帰りの予約をしていないので常磐線で戻ることに。
大甕駅までトロトロ歩いてゆくと、
駅前のすぐそばにあやしげな店を見かける。
老人ばかりを集めてずらりとパイプ椅子に座らせ
その間を歩き回る若い店員たちが
「あと×個となりました!」「ありがとうございます!」と
やたら大声を張り上げている。
布団や鍋でも売っているのかと思ったら、
「自然食品の店」という看板がかかっていた。
あー、こういうジャンルに目を付けたのねね。


自分が呆れて立ちつくしている数十秒の間にも
老人が何名か中に入っていった。
数年前の磯出祭では、この年齢が張り切っていたはずなのに、
今じゃ悪徳商法の餌食かぁと悲しくなり、
その帰り道にレールの撤去を見かけたので二重に凹んで東京へ。


しかし、その車内の中でふと思う。
72年前も、やはりあの年代が張り切って祭を行ったとしたら、
祭が終わった後には気力が抜け、
あの賑わいを思い出しても次の祭を見ることがないのも確実で、
と、なったら今と同じように、
体力や頭を使わないことにお金を使ってヒマを潰したかもしれない。
だとしたらこの光景も、
人も違い、行われていることの中身も違っても、
磯出祭と同じように、大甕の地で繰り返されていることなのではなかろうか。


ま、つまり、人の営みってのは結局、それほど変わらないってことですよ。