今週のお題「ひな祭り」

また環境の差が出るお題を……と思いつつ、皆様のブログを見て回ったら
「今年も地元ではひな祭りのイベントが」というフレーズが多いので驚く。
祭りと言っても、商店街がそれそれ所蔵していたひな人形をかざる、
商工会議所には誰々さん家に伝わるひな人形を、的な
単に人形を設置するだけのシンプルなイベントの様子。
それにしてもこんだけ、あっちこっちで行われているのが意外。
もしかしたら、2.30年後には「ひな祭り」という言葉の意味が変わってるかもな。


さて、昔の話をしよう。
幼稚園の頃は、概して一番ご近所な子が一番の友達になるものだ。
なんせ家まで歩く時間、すっと一緒に過ごすわけだ。親しくなるのも当然のこと。
そんな過程を得て私の一番の友達だった子の、名前を仮にAちゃんとしよう。
Aちゃんには2,3才年の離れた妹がいて、私はそれが猛烈にうらやましかった。
姉妹内だけでままごとが成立するからだ。
当時の私には姉も妹もおらず、それを愚痴る私をなだめるためか、
親類のお下がりのリカちゃん人形が大量に投与されたのだが、
私の不満はもちろん収まらなかった。だってリカちゃん人形は返事しないじゃんか!
……この不満は後に解消されることになるのだが、それはまた別の話。
というかたった今気づいたが、
私の「Yes!妹!NO!義妹」的妹萌えはこの頃の感情に起因してるんじゃね? なんということでしょう。


かくて私に羨望の眼差しで見つめられていたAちゃん家だが、問題が起きた。
Aちゃんの両親が離婚したのだ。Aちゃんのお母さんはAちゃん姉妹を置いて出ていってしまった。
離婚の理由は定かではないが、Aちゃん姉妹を置いていったことが
Aちゃん母の本意ではなかったのは間違いない。
Aちゃん母が、Aちゃん姉妹に顔は見せなかったが、こっそり様子を見に来ていたのを、私は知った記憶があるからだ。
(現場を目撃したのか、家族から聞いたのかは覚えていない。おそらく後者ではなかろうか)
そんなAちゃん家には、新しい奥さんが来た。Aちゃんの義理の母親だ。
この義母があっという間に男の子を産んだ。
(今にして思えば、1年経っていないような気がする)
Aちゃん父とAちゃん祖母(父親の母親、つまり姑)が露骨に男子誕生を喜んでいる様子は、
Aちゃんの自宅から縁遠くなった私にも伝わってきた。
私は漠然と、あれほど羨ましく思ったAちゃん姉妹の環境を、別の目で見始めていた。
そして季節は変わり、3月、年長さんの私とAちゃんが幼稚園を卒業する直前に、
Aちゃん家にひな人形がやってきた。
三人官女に五人囃子、牛車や桃の木が付いた五段飾りのひな人形は
七段飾りがなかった当時では最高級のお値段のものだった。
通常なら、そんなお雛様を持ってるAちゃんは、羨望の眼差しで見られていいはずだった。
だが、私はこのひな人形のことで、Aちゃんを気の毒に思った。
この高価な買い物は、Aちゃん姉妹への心からの愛情ではなく、
「娘もちゃんと可愛がってますよ」というアリバイ作りのためになされたことが
まだ小学校に上がらない子供にすら、はっきりとわかっていたからだ。
外側に向けて情報操作をしなければならない家庭の実情は、いかなるものであったろうか。


そして卒園した後……小学校は、町ごとに通う学校が決められる。
距離としては一番ご近所だったAちゃんの家は、行政上は隣町の家だった。
そのまま私とAちゃんは縁遠くなってしまい、二度と会っていない。
私が引っ越す時、Aちゃんに別れを告げにいこうという発想はなかった気がする。
それが、Aちゃん家に行ったら義母かAちゃん祖母のどちからが出てくるかも、という懸念と
どこまで結びついていたのかは疑問だ。
当時は、引っ越しという行為が意味することが判っていなかった気がする。
電車に乗ってこの町に戻れば、そのまま人間関係も復活するものだと思っていた。



さて、月日が流れ、たまに私はAちゃんのことを考えたりする。
AちゃんはあれからAちゃんのお母さんと会えたろうか、
もう結婚して子供がいたりするのだろうか、などと。
そしてふと思いを馳せる。
街角に飾られているひな人形たち……持ち主から《自宅に置くに能わず》とされたマニファクチャーの産物たちにも
ささやかでありふれた、でも哀しい歴史があったりするのだろうか、と。