創土社「エーヴェルス短編集」より

蜘蛛・ミイラの花嫁―他 エーヴェルス短篇集 (1973年)

蜘蛛・ミイラの花嫁―他 エーヴェルス短篇集 (1973年)

画像なんざあるワケないですな。1973年……37年前?
黒い蝋引きのような布の表紙に、銀で糸から下がった蜘蛛が箔押ししてあります。
フルカラー表紙ばかりの昨今ではお目にかかれないセンスの良さです。


http://www.narinari.com/Nd/20090611792.html
「娘の母乳を飲んだら末期ガンが治った? 英国人男性の事例が話題に」
この記事を読んだ時、「モロに『乳を飲ませた女』じゃん」と思ったのだが
エーヴェルスの短編なんて今どきどこで読めるのかと思い当たり、
ここであらすじだけでも紹介するかと思った次第。



20世紀初頭(執筆は1924)、黄金郷の発見を夢見て
ガイアナ高地を探索していたドイツ人が、現地の病に冒されてしまう。
その症状は熱こそ出ないがあらゆる固形物、液体を受け付けなくなり、
水ですらも吐いてしまうというものだ。
病人はうわごとで「ミルクを!」と呟く。
しかし彼が病に倒れたのは南米のギアナの高地で、乳牛がいるはずもない。
それでも山羊の乳、馬の乳、乳樹と呼ばれる乳そっくりの樹液など
あらゆるものが試されるが、病人はことごとく吐いてしまう。
……すると、看護に当たっていた尼僧が、近くの村から現地人の女性を連れてきた。


彼女は彼をかばうように前屈みになって、膝をつきました。
彼女は彼の顔をじっと見つめました。
ただほんのしばらくの間だけ厳しい、殆ど恐がっているような顔つきで。
それから褐色の腕が伸び、すばやく方から衣類を滑り落としました。
するとむきだしになった豊満な二つの乳房が、
せわしげな息づかいのたびに激しく上下しました。
 ゆっくりと彼女の状態は前屈みに倒れて、
彼の顔にその露わな乳房が押し当てられました。
女は彼の頭をやさしく自分の胸元に抱き寄せました。
赤ん坊に乳をやる時のように。
 

そのとき彼は目を閉じて、ごくりごくりと飲んだのです。


そうしてドイツ人は一命をとりとめ、病院のある街まで運ばれる。
やがて退院の日、医者に礼を述べる彼は、あの女性の消息を訊ねて思わぬ話を聞く。


「死んだって?」彼は聞きかえしました。「死んだのですって?」
老医師は肩をすくめました。
「この種族の奥地に住むインディアンは奇妙な習慣と考え方を持っているのです」
と彼は言いました。
「ほんのわずかな金で、あなたは夫から女房を買うこともできたでしょう。
――おまけにその妹まで。お望みなら一月に二三枚の銀貨で、その女を好きなだけ
かこっておくこともできたでしょう。そしてもしあなたが、
何がしかのちょっとした贈り物をやってその女を返しでもしたら、その夫は女を
下にもおかない持ち上げ方をして、金輪際殴ったりなんかしなかったでしょう。
だがあなたの場合、村に帰って、女が何をしでかしたのか聞いた時、
夫は散々になぐって殺してしまったのですよ」
「そりゃまた気狂い沙汰だ!」このドイツ人は叫びました。「言って下さい。先生、
ヴィクトリーヌ尼は、そのインディアン種族の身の毛もよだつような習慣を知っていたのですか?」
ボンノム先生は肩を大きくすぼめて、しばらくたってからやっとおろしました。
「それは分かりません」と彼は答えました。「それは私には全然関係がありません。しかし
次のことは確実です。そのインディアンの女があなたの命を救ってくれたとき……彼女は
自分の前にどんな運命が待っているかをよく知っていたということです」


ドイツ怪奇幻想映画「プラーグの大学生」の脚本・原作者として著名な
ハンス・ハインツ・エーヴェルスは旅行好きとしても知られており、
船旅がメインのこの時代に、ほぼ世界を一周している。
この作品も彼の知識・体験が色濃く反映されているのだろう。
(現地人の女性の描写がステロだが、まぁそこは愛嬌だ)
この旅好きが禍いして、第一次大戦の開戦時にアメリカに滞在しており、
そのまま敵国人として監禁された彼は、すっかりアメリカ嫌いになってしまう。
このトラウマとドイツの敗戦がナチス・ドイツへの傾倒を深めるのだが
ゲッペルズになぜか目の敵にされ(嫉妬だとしか思えない)
作品のほとんどが発禁処分の憂き目に遭う。
そして不遇のままベルリン陥落を見ずにこの世を去ることとなる。
そして戦争が終われば終わったで、ドイツ本国ではナチスに協力した作家として
扱われているのだから気の毒としか言いようがない。
日本でも知る人ぞ知る作家といった扱いで
ゲーム・真・女神転生に「アルラウネ」の設定がそのまま採用されたり、
あしべゆうほ・池田悦子の「悪魔の花嫁」の中にも、
「ミイラの花嫁」にインスパイアされた話がある。
神話的メタファーと科学の結合、純愛と流血、
怠惰でろくでなしのくせに非情になりきれない主人公
……その代表者たる「人生の傍観者」フランク・ブラウン三部作なんかは
ラノベ的要素をじゅうぶん含んでおり、今のヲタ文化と相性が良いと思うのだが。
ブームが来たりしないかなぁ。

彼は二人の女性にガイアナで出会いました。……再び相見ることにない二人の女性に。
一人はサンタ・マリアの医師がダーリオレットと呼んでいたヴィクトリーヌ尼に。
もう一人は今は亡き一人のインディアンの女のことです……しかしその名も分からないままに。
しかし、ほんとにしかし彼をこの二人の女性と結びつけた何かが、
彼女たちの魂の中には存在していたのです。
それが一体何であるのか分かりさえしたらいいのに。
……彼は静かに星の夜空を見つめて、夢想にふけりました。
南十字星と、天空をつきぬけてパラダイスへ導く、幅の広いまばゆい銀河*1とを眺めていました。

*1:ヨーロッパでは「乳の河」