「イングロリアス・バスターズ」

レディースデイで鑑賞。自分の前に並んでいた学ラン姿の高校生たちが
「R−15って書いてある」「制服で来て正解じゃね」とか
初々しい会話を交わしていてニヤついたが
ヲイラの頭ん中ある意味彼らと同じレベルなのかと思い、少し恥じ入る。


ネットに上がっているあらすじや感想と、絶対的にはあまり違和感を覚えない内容。
異なるのは自分の中での相対的な感想、つまり「どんくらい好き?」かってコト。
…………
…………
…………。
ヴァン・ヘルシング」くらいかなぁ。
この監督ならもっと、という期待度を裏切れはしたが
他の監督ならもっと手放しで褒めると思う。
少なくとも映画の存在が物理的に威力を発揮するというラストの仕掛けは
特筆すべきユニークなアイディアだ。
なのに、積極的に褒める気になられないのは
面白いより不快なシーンが多かったからかな。
とりあえず、ぴぴるぴるぴるぴーな熊男に対してNBAは抗議すべき。
(つーかヤツは戦地に何本バットを持ち込んでいるのだ?
あんなコトしてたら折れるよな? フツー?)
あと、言語を学ぶことは重要だと思った。
好きな国の言葉ではなく、敵国の言葉を覚えるということが。
φ国人で日本語に堪能な人間が多いのは、そういう目的の教育成果なのね、きっと。
これがアメリカで歴代タランティーノ作品の興行一位というのもショックだ。
ネイティブ・アメリカンも抗議してやんなさい。
「頭の皮を剥ぐのはアパッチの血が混じってるから」って、
そんなエクスキューズに名前使われてんだから。
タランティーノ本人はイノセントであり、また確信犯なんだろうけどさ。
……ああ、狙撃兵の『実家が映画館でショシャナの映画館は落ち着くんだ』エピソードを
日本公開版だけでも残しておいてくれたらなぁ。
ナチスには一片の人間性も与えてはいけないのね。それがハリウッドなのね。
……そういう、透けて見える事情が褒める気にならない理由かも。