気になるのはそこなのか?

受信可能地域に住んでいるので
放映前から物議を醸し出している「こどものじかん」第一話を
視聴することができました。
作品全体の感想としては以下三行
「九重りんのような女の子がいないとは言わないけど
アッパー系を装って周囲360度に「自分無邪気だよ?」をアピールはしない。
何故なら彼女たちは自分の値打ちを判ってる=媚を売る相手を選んでいたから」
まぁ、フィクションだし、
そゆリアルな少女の世界を求められてる作品でもないのだろう。



放映された第一話は
「原作と比べてどれほど修正が入っているか」で物議を醸している。
まぁ、おおよそこういう結果のようだ。
http://twodimension.blog59.fc2.com/blog-entry-653.html
だが、自分が気になったのは、もっと別のこと。
上のサイトでも上げられている「習字で「中出レ希望」」のエピソードだ。
アキバブログの10/13日分で、原作の該当シーンの
直前のコマを見ることが出来るのだが
http://www.akibablog.net/archives/2007/10/kojika-nakadasi-071013.html
その画像によると、この習字の時間では原作では宇佐美々が参加している。
実はこの子は、退職した教師から受けたいじめが原因で不登校になっていたのを
主人公の誠意ある対応で再び登校するようになったというエピソードの持ち主で
それを知った九重りんが主人公に信頼を寄せるきっかけの一つになるというのが、
アニメの一話の大まかなあらすじだし、おそらく原作もそうだと思う。
だが、アニメでは、このエピソードはAパートの前半のかなり早い段階で出てくる。
当然ながら宇佐美々を立ち直らせてもいないし、
両者の間にそれほど確固たる信頼が生まれているとも思えない。
それどころか、時間帯としてはおそらく赴任初日の午後だろう。
一応、昼休みに九重がネコにエサをやるのを黙認するというエピソードがあるが
それは主人公が九重に「猫を追い出さない。自分も猫は好き」と
口頭で語るエピソードである。
猫を黙認することと、不登校の友達を立ち直らせたことは同等か?
ただ口頭で約束することと、宇佐の家まで出向くという行動は同等か?
主人公と二人きりの時を選んで自ら下着を下ろし
「ここで大声で叫んだらどうなると思う」などと恫喝するほど
狡猾な少女、九重りんが、大人の口約束をあっさり信じると思うか?




原作通りかどうかというんなら、まずこのエピソードの順番を
追求すべきなんじゃないのか?



ざっとレビューをたどってみたけど、この件に触れてるサイトが
ないようなので呆然とした。
エピソードが同じであれば、順番はどうでもいいのか?
大事なのは下着が見えるかどうかなのか?
それが2007年の、漫画をアニメ化する時に気をつけることなのか?


原作を読まないアニメのみ視聴者がそれに注目するのはありだろう。
放送局があれこれ気を使うのも当然だろう。
だが、お金を出して多々ある本の中からわざわざ選んでコミックスを購入した
原作ファンくらいはそういう事に拘るべきなんじゃないのか?
(こんな調子だからホスト部アニメの原作切り刻みっぷりが見過ごされるんだ……
そうしたことに気を使わない制作側に問題があるのは百も承知だけど)



なお、個人的に言わせてもらえば、アニメとしてもダメだと思った。
宇佐美々が久々の登校途中で九重と、もう一人の少女・鏡黒と出会うのだが、
ここで会話の途中、宇佐と鏡が笑顔を浮かべると同時に
口元に両手の拳を当てる。
文章を読んでも伝わりつらいと思うが、要するにぶりっ子のポーズだ。
昭和の演出ですな。
今時こんな動作が見られるのは、ボクシングのファイティングポーズですよ。
「キャラクターに演技をさせる気なんかない。ただ記号でありさえばいい」
という制作側の思考が透けて見えた気がした。


その程度の下種な思惑で
「ボクら規制と戦う正義のアニメ制作者です」な顔をなさるのは
いかがなものかと思ってしまいますよ?