今週のお題特別編「素敵な絵本『ニャンコ、戦争へ』」

こんなご時世なので、夢が広がりまくりんぐ系ではなく、
考えさせるものをご紹介。

ニャンコ、戦争へ

ニャンコ、戦争へ



吸血鬼ハンターDや魔界都市新宿シリーズ、元を糺せばエロス&バイオレンスのおひと、
菊地秀行の手による絵本だ。


長い間、どこともわからぬ国と戦争をしている日本。
戦争の姿は徹底的に国民の目から隠されている。
その手段の一つが、人間の代わりに猫を戦争に行かせるというもの。
“僕”の飼い猫、ニャンコも人間の代わりに戦争に行かされ、
右の目と右の前足を失って帰ってくる。
数日の休暇の後、再びいなくなったニャンコは休戦によって戻ってくるのだが
この休戦の事実ですら、ニャンコが携えた軍の通達で知る始末だ。
“僕”の家には毎朝牛乳配達はやってくるが、新聞配達はやってこない。
それくらい、情報管制が敷かれている世界なのだろう。


戻ってきたニャンコがお気に入りのクッションの上で丸くなっていると、近所の野良猫が現れる。
野良猫はニャンコに「どうして俺たちが戦争に行かなきゃならないんだ。人間たちに文句を言ってやろう」と呼びかける。
しかしニャンコは、丸くなったまま動かない。
無傷に見えた野良猫が、実は全身ケロイド状態で、人間によって火傷を隠す着ぐるみを着せられていたことを見せられても、反応しない。
そして“僕”の家には役所の作業員が乗り込んできて、野良猫を連れ去ってしまう。

(野良猫が)もうひとりの作業員に抱かれてドアをくぐるとき、僕の後ろで鳴き声がした。
ふりむいた。
ニャンコは前と同じ格好で眼を閉じている。二度と泣かなかった。気のせいかなと思ったほど、静かな姿だった。
そうじゃないとわかったのは、牛乳の入った皿を持っていったときだった。
閉じた眼の隅に光るものが溜まっていた。
「泣いてるのか、ニャンコ?」
そう訊いてみたが、返事はなく、ニャンコはいつの間にか安らかな寝息をたてていた。


やがて、半年もしないうちに休戦は終わり、再び猫たちが戦争に駆り立てられる。
“僕"はニャンコを逃がそうと連れ出すが、ニャンコはそれを拒む。

「いいから帰ろうや」
僕は驚いた。驚きのあまり、ニャンコになってしまいそうだった・
「何言ってんだ。僕はお前を死なせたくないんだ。お前は猫じゃないか。
仲間や飼い主のことも気にせず生きるもんだろ。僕はうらやましかった。
さっさと逃げろ。猫らしく自由に生きるんだ」
それでもニャンコは動かない。

どうして?と“僕”はニャンコの心理をおもんばかる。
飼い主である自分たちへの恩返し?
ニャンコの恋人のメス猫のため?

「おい、おれは猫だぞ」
とニャンコは言った。
「キミの言うとおり、自由に生きる。誰にも邪魔させない。だから、戦争に行くよ」
それから、ニヤリと笑って
「TVドラマって――カッコいいじゃんか」
僕は何もいえなかった。涙だけがいつまでも流れた。
「ね、帰ろうよ」
ニャンコはやさしく言った。

そしてニャンコの戦死を告げる知らせが届き、物語は終わる。
ニャンコは、ヒゲ一本返ってこなかったのだ、と。


戦争は間違いなく外交ツールの一つだ。
強力なワイルドカードだ。
湯水のように金をつぎ込むからこそ、民生品では不可能なギミックが次々と実現する。
悪夢から生まれたものでも、美しいものは美しい。
また、人々が一致団結して動く姿というものもまた、人の心を惹きつける。
遠いところならマスゲーム、身近なところでコンサートのペンライトの波などがそうだ。
……そう、戦争が、人の心を惹きつける側面があることは、この地上の誰も否定できない。


だが、そうやって戦争の魅力を堪能できるのは、自らが戦わない立場にいるからだ。
距離的にも、場合によっては時間的にも、遠く後方の安全な場所に自らを置き、
戦争のおいしい所だけをつまみ食いして、負の部分を誰かに押しつけているからだ。


近頃、その負の側面から眼を逸らすのではなく、
負の側面など一つもないのだとする風潮が強い気がする。
戦争の萌え化、とあえて明言したくなるほどに。
あまりに多方面から起きた現象なので、それが人々の望みなのだろうとも思うけど。
だが、大衆が望むものばかりを提供していたら
イドの怪物たる集合的無意識は栄養失調を起こしやしないだろうか。


それにしても、今回、文章を引用していて思ったが、
このニャンコ、なかなかハードボイルドだなぁ。
吸血鬼ハンターのD、エイリアンシリーズの八頭大、等々の、菊地作品の血がちゃんと入ったキャラだ。
一級の作家さんは、絵本を書いても己の個性が出るものなんだなぁ。